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やっぱりずっと好きでした。ほんものの好きとニセモノの好きの違いは、とても明確なもの。
本当の好きとニセモノの好き、というのは実はとても明白です。
本物の好きはさまざまな外的メリットが全部なくなったとしても、選んでしまうもの手にしてしまうものです。理屈なく条件なく、そのものに惹かれます。
それ自体はとてもシンプルで、むずかしいのはそのメリットを好きであることに気づくことと、と認めることのほうなんだよね。
さらに外側にずっと探し続けている場合、頭で好きをつくりあげてしまう可能性があります。
役に立ちそうなもの、価値がありそうなものを自分の好きなものとして扱おう、とする感じです。順番が完全に逆になっていたりするのです。
今までわたしがこれ好きかもしれない、ということでやってみたことに、保育士の専門学校へ通うなどもありました。
当時結婚していて、そのタイミングで元旦那さまは北海道へ転勤だったので、わたしだけ東京残って専門学校へ2年通ったのですが、学費と住まい費だけでこれまた300万円以上。
しかし入ってすぐに気づいてしまったのです。
あ、わたし全然やりたくない。子どもはふつうに可愛いけれど、この大変な仕事ができるほどの好きと熱意はないわ、と。
このときのやらかした感は、やばかった!
でも子ども好きっていい人そうな感じだし、子どもは社会にとって大事な存在だし、資格もあれば職にも困らなそうだし、と打算100%と頭で理由を考えだして、それに「好き」をかぶせていました。
あたり前なんですが、そういう頭で考えた「好き」ってまず続きません。そしてやっていても楽しくありません。大変なことあったらくじけて起き上がれません(笑)
好きかもしれないと思うものは、本当はそれそのものではなく、それがもたらす別の効用だったり、それに付随する条件だったりして、それを好きだと思ってしまう事もあるのです。
逆に、大変でやめてみた、嫌になって離れてみたものでも、けっきょく懲りずにまたやりだしてしまうもの、手にしてしまうものってあります。
なんだかんだ距離を置いても、結局「好きなもの」には自然と惹かれていくし、役に立とうが立たなかろうが究極的にはどっちでもよく、ほんとうに「好き」って理屈じゃないからです。
純粋な「好き」は、もしかしたらその理由をちゃんと語れないかもしれないですし、なんとなく、、、という感覚かもしれません。
でもそれが本物の好きだった場合、さまざまなメリットがなくとも、あなたはやってしまうだろうし、時間もお金もかけてしまえるし、やっているだけでエネルギーが湧いてきたりしているはずです。
好きと仕事、一体どっちが大事!?そうなる前にそれぞれの性質を理解しておく
自分の好きなもので自分を楽しく幸せにしつつ、さらにそれが「仕事」にもなり、他人にも喜ばれるのであれば、幸せ感も喜びも何倍にもなりますよね。
だからといって、自分の好きを仕事にする!と決めても、実際やってみるとこんなはずではなかったと感じたり、うまくいかなかったり、好きが嫌いになる、なんてこともあるのではないでしょうか。
それって、そもそも「好きなもの」と「仕事」の性質は別物だ、ということを理解していないから起こるのかもしれません。
なので「好きを仕事に」で行動する前に、「好き」の性質や「仕事」の性質、そして自分が好きを仕事にすることが本当に必要かどうか、考えてみることが大事です。
「好き」はあくまで「自分の世界のみ」で完結させることがでる。
「仕事」にするのであれば、自分の世界のみではダメ。「他者との関わり」が重要になる。
「好き」は役に立たなくても、誰に理解されなくてもいい。
「仕事」にするのであれば、誰かにとって役に立ち、さらにその人たちにそれが「必要である」と理解してもらわないといけない。
「好き」は心で感じるものであるが、仕事は「頭」で考えるもの。
自分の好きを「外に出してみる」「表現する」ことで、「自分の好き」が他者に対してどのような影響を持つかを知ることもめっちゃ大事になるよ!!
わたし自身の例でいうと、今まで自分を変えていくための「スピリチュアル・マインドについての知識・情報」「物事を考察する」ということを好きで収集・実験していたのですが、これが誰かの役に立つかも、という発想がそもそもまったくありませんでした。
わたしはその知識や情報を集めて、実験して分析することは、面白くて役に立つし好きだと思うけれど、わたし以外にこれを面白い、必要と思う人なんていないだろう、という感じ。
しかし、わたしがなにか自分の力で仕事をしたい、起業とかについて学びたいと思っていた矢先に、複数の会社のオーナをしているこいけんさんという方に出会い
【こいけんさんの記事はこちら】
彼の主催の起業塾に入ったときに、何度も繰り返し伝えてくれていたことがあったのです。
「自分の経験や体験したことで、他人の役に立ったり喜ばれることって必ずあるから」「すべての人に必ず素晴らしい才能があるんだよ」「今、できることからすればいいんだよ~」
最初はそんなものないよ、と思っていたのですが(笑)あまりに何度もみんなに伝えてくれるので、自分にもなにかあるかな?と考えました。
そこで、誰が必要とするのかはわからないけれど、今まで自分が今まで学んだマインドのこと、スピリチュアルについての知識、体験から気づいたことなら出せるかもと、ブログを書いてみることにしました。
そうしたらありがたいことに、たくさん読者さんが増えたりコメントしてくださったりしたんです。
自分が伝えたもので喜んでくださる方々っているんだ!ほんとうに自分の好きが誰かの役に立ったり、価値を生むことって可能なのかも、、、、。
自分の集めている知識や情報は、自分しか興味ないだろうし面白いと思わないだろう、と思い込んでいたので、これは衝撃の体験でした。
また私の場合はそこから「書いて伝える・表現する」ということ自体にも楽しさを感じて、誰かにとって役に立つ、必要としていることを書いて届けていくライターの仕事をしてみたいなと思い立ち、いま実際に学びつつライターの仕事も始めるようになっています。
気づいたら「マインド」「考察・分析する」「書く」の自分の「好き」が、いろいろに組み合わさって「価値」「役に立つ」を生み出すようになってきました。
でも、これらは「自分がどういうものを好きか」を理解して、それが仕事になるかならないかは関係なく、今できるところから「他人に対して表現してみる」ことで、はじめてわかったことです。
「仕事」にするのであれば、そこに「他人を喜ばせる」「役に立つ」「価値がある」ものを自らそこにつける、もしくは見出す必要がある。
「好き」と「価値」「役に立つ」は切り離して、それぞれ考えることが大切。自分だけで楽しめればほんとうは十分なのか、それをさらに他者のために役立てたいのかをしっかり見極めていくことが必要。
もし役立てたいと考えるなら、まず他者にそれを表現して反応を見てみる。どうやったら喜ばれそうか役立てられそうかを考えるプロセスを踏むと行動しやすくなります。
実際にただのボードゲームおたくから、ボードゲームソムリエとしてテレビ出演やら、企業の研修や講演会などで大活躍の松村君という友人がいるのですが、実際に好きを仕事にするプロセスが参考になるので、ぜひ読んでみてください。
【松永君の記事はこちら】
好きの本質は、目に見えない。だからこそ自分を信頼してハートで感じよう
好きなものがわからない、と「好きなものづくり、さがし」にかなりの時間とお金とエネルギーを費やして回り道もたくさんしてきましたが、最終的にわかったことは、「好きなもの」って本当にとてもシンプルなんだということでした。
「好きなもの」は「外」にあるのではなく、自分を知ることで内側からわかるもの、だということ。
「好き」って目に見えない感情だからこそ、自分で自分をしっかり理解して信頼すること、頭ではなく感じることを大切にできることなど、自分を知ることが大事なんですよね。
じつは自分の好きなものがわからない人は、自分のことをよく分かっていないだけなのかもしれないね。
「好きなものがわからない」あなたも、日常の中で触れるものや体験することを、もう一度あらためて「好き」の定義にそって、自分は今どんなことを感じているかなと、いったん意識するようにしてみてください。
これをやっているときに、こんな感覚がする、こんな感じがする、心地よい、心地わるい、ということに気づけるようになると、「好きなもの」って日常生活の中でどんどん増えていきます。
また同時に「好きなもの」はこうでなければいけない、こういうことができなければいけない、こんな形でないといけない、という「〇〇でないといけない」という思い込みもどんどん外していけると、これも実は自分の「好き」なんだ、って気づけるかもしれません。
「好きなものがわからない」と焦って好きなものを外に探すのではなく、今ある日常の中にある、自分の小さな好きの感覚をたくさん感じて認めて、自分を理解しながら楽しんで増やしていってくださいね!
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