親との関係、期待を捨てたら上手くいっちゃった私の話

親との関係、期待を捨てたら上手くいっちゃった私の話

ライター:佳凛

「親子の縁を切るから!!」

十代のころ、親とケンカしては事あるごとに捨て台詞を吐いて家を飛び出していました。

上手くいかない親との関係は、捨てる方がいいのかな?楽だろうな・・

そう思いつつも捨て切ることもできず、かといって良好な関係も築けず・・・

一瞬上手くいっては悪化して、上手くいっては再び悪化して、もうエンドレス状態・・・。

人生に一度や二度、親との関係が悪化して「縁を切ってやる!」とまではなくても「顔なんて見たくない!」などと思った経験は誰にでもあるのではないでしょうか。

とは言っても、できるなら良好な親との関係を築きたいですよね。

あなたのその上手くいってない親との関係は、今ある期待を捨てることで案外上手くいき始めるかもしれませんよ。

親との関係が最悪だったある日、抱いてる「期待」に気付き、最初は無意識でしたが、その期待を捨てることにしました。

結果、期待を捨てるごとに、顔を見れば言い合いが始まるほど悪化していた関係は良好に。

そして、父とは最後いつだったか覚えていないくらいのハグができたり、小学生ぶりの家族旅行、家族で年越し、親子で休日にカフェにいったり、次々に良好な親との関係を手に入れる事ができたんです。

さらに「会話の大切さ」に気付く事ができました。

なぜ、期待を捨てる事で親との関係がよくなったのか、良好な親との関係には会話が大切だったのかを、私の経験から得た教訓と共にお伝えしていきます。

成長するにつれ大きくなる親の期待

泣いてる女性

小学生の時〜人生初の家出〜

私は、父・母・3つ下の弟のどこにでもある家庭の4人家族の長女として生まれました。

小学1年生の夏、「夏休みの宿題は○時には始める」そう母と約束をし、私は弟と外で遊んでいました。

時間を守らず遊び続けていたので、「いい加減にしなさい!そんな悪い子は入りません!」と叱られ、閉め出されたのをきっかけに弟を引き連れ家を飛び出しました。

母親に褒めて欲しくて宿題の約束をした反面、「なんで私だけ!」と、悔しさと悲しさで胸がいっぱいになりながら当てもなく自転車で走っていました。この家出は、夕立によって破られ渋々半分、恐ろしさ半分で家に帰ると・・・

そこには家を飛び出す前の鬼のような母はどこにもなくて、

母

「よかった!」

母

「立派な大人になって欲しいから、お勉強をきちんとするんだよ」

と言いながら、千切れんばかりに強く抱きしめてくれたのです。

私

特に子どもの時って、母親に抱きしめられたり、喜んでもらえると嬉しくなりますよね。この時の私も、母のために立派な大人になって母を喜ばそうと心に決めたのでした。

中学生のとき〜姉としてのプレッシャー〜

親からの期待は中学生になるに連れ、「やればできるのに」「お姉ちゃんでしょ」「お前が悪い」「近所の目を考えなさい」「恥をかかせるな」などの小言がメインの毎日・・・

期待に答えようと必死になりますが、応えられないことの方が多くなり、「親との関係」が良好・悪化のエンドレス期に突入していきます。

「大学に入って良い会社に勤めなさい」の言葉に応えようと、塾に行かせてと頼み、家でも、学校でも、塾でも机に向かう日々が多くなっていきますが、テストの結果はイマイチでした。

母

やればできるのに」塾でなにやってるの?高い月謝払っているのに

結果を重視するようになるにつれ、期待がプレッシャーのように重くて・・。

親に好かれたい気持ちはまだまだ大きく、結果を出すために頑張りますが、結果は追いつかない日々が続いたことで、これまでの過程を見てくれないことに嫌気が差すようになり、親との関係が日に日に悪化していきます。

私

期待に応えられずプレッシャーに負けてしまったことで、親からの言葉が私をコントロールしたいのだと感じ、「親子の縁を切るから!」という言葉を連発するようになっていました。

高校生のとき〜悪化する親との関係〜

塾も部活も辞め、学校はサボり、髪を染め横道をそれるようにもなっていましたが、頭の隅に残っている「親から好かれたい」気持ちがあり、なんとか高校に入学します。

年を重ねても、やっぱり親に認められたいし、好かれたい気持ちは誰にでもあるのではないでしょうか。

この頃には、父は単身赴任で海外に行くようになり、家では母と弟の3人でいることが多くなったことで、母にもプレッシャーがかかり、ますます小言が増えていきました。

「見た目を高校生らしくしなさい」そう言われればエスカレートして見た目はどんどんエグくし、「危ないから早く帰ってきなさい」そう言われれば家には帰らなくなり、「世間の目があるでしょ」そう言われれば、白い目で見られるようなことをする日々。

親との関係を悪くすることで期待に応えられないことを態度で示すようになっていました。

父がいないことを良いことに、校則を破り、親の呼び出しの常習、停学を食らったことをきっかけに高校退学を選択。

当然、父は激怒しましたが、親との関係もこれまでかけられてきた期待も全てを壊したい私にとってはいい気味でした。

両親の怒る顔を見てれば期待されずに済む、そう思っていたから・・。

私

小さな頃は嬉しかった期待が、歳を重ねるにつれて辛く重苦しい者に変わってしまうこともあります。

特に学生時代は「親に好かれたい」という気持ちもあり、親の立場を考えよう・期待に応えようと必死になってしまいますよね。

当時の私はただただありのままを受け入れて欲しかっただけなのです。

親との関係に変化をもたらした出来事

ドライブ

10代後半は、なんと言っても車の免許が18才で取得できますよね。

車の免許を取得すれば、移動距離が長くなるという思い込みから『親から解放されるし、親はダメ人間の私から解放されてメデタシじゃん?』そう思い、当時同じような境遇だった友人と教習所の合宿へ行くことにしたんです。

ここまで親との関係が低下していましたが、親とは離れたい心とは裏腹に、どんな時でも友人が側にいたため「本当の意味での一人」を味わったことがありませんでした。

合宿最初は、不安も多少ありましたが、思いの外雪国での合宿生活は順調で、仮免も一発合格!残すは卒検を合格するだけでしたが、不運なことに風邪を引いてしまったのです。

難なく卒検を合格した友人は先に地元に帰り、私は不合格・・・

雪国の教習所に一人取り残され、初めての孤独と風邪の辛さで心が押しつぶされそうになっていました。

そんな私は気づけば携帯を握りしめ、母に電話をしていました。

母

もしもし?

私

・・・

母

どうしたの?

私

・・・帰りたい

今まで一切弱音を吐かずにいた私が弱い部分を見せた瞬間でした。

それまでは「やればできるのに」と言い訳や弱音を跳ね返されてきたので、今回もそう帰ってくると思っていたのに、返ってきた言葉は「じゃあ、帰っておいで」でした。

私は、驚きながらも生まれて初めて期待に答えなくても自分を受け入れてくれる人がいることに気づき、これまで掛けられていた期待を少し捨てることができたのです。

私

心も体も弱っていたことで、母に素直になれた瞬間でした。今では、風邪を引いて雪国に一人取り残されたことに感謝しています!

人生最悪な出来事をきっかけに知った本当の親の気持ち

父と赤ちゃん

人生を変えてくれた破談

雪国で引いた風邪のおかげで、親との関係が少し穏やかになり、それまで顔を合わせれば、言い合い・つかみ合い・殴り合いだったのが、それ以来極端に減りました。

しかし、それは完全に穏やかになったわけではなく、お互いに気を遣いすぎてしまい、せっかく修復したと思っている関係を、今度は「崩したくない」気持ちでいっぱいになり会話が減っただけでした。

親からの期待も変わりました。「結婚」です。

お互いの機嫌がいい時や、他人の赤ちゃんを見たときには、「結婚は?」家の中でも外でも「ケッコンハ?」半分笑って返しつつ内心もうウンザリ。

そんな私にも人生最大の幸せがやってきたんです!

「僕と結婚してください!」人生初のプロポーズ。これで親からの期待にも答えられるし、みんな幸せになるじゃん!これから親孝行するぞー!と幸せ真っ只中の私は人生のどん底に突き落とされたのでした。

突然の婚約破棄、いつもんはだんまりの父は相変わらず「そうか」一言だけで再び沈黙。

私

「私には無関心のくせに、今まで孫、孫うるさかったくせに「そうか」ってなにそれ?!」父の言葉を聞いて私は感情が爆発してしまいました。

生まれて初めて聞かされた父の本音

結婚も失って、半狂乱だった私は、親との関係さえ失ってもいい勢いで子供の頃から受けた傷をぶつけ始めました。

・手を挙げられたこと
・近くにいないときはものを投げられて怖かったこと
・話を聞かずに頭ごなしになんでもダメと言われたこと
・叱る以外に私に対して無関心だったこと

今生の別れの勢いで数時間に渡り父を責め続けました。

親との関係が結婚でうまくいくと思っていた私は、「結婚」という幸せを失い、親との関係を修復する手段も同時に失い、未来には何も期待できなくなり、散々嫌だったことを父にしていたのでした。ものを投げ、罵声に暴言・・・

でも、何かが変わってる。私の意見なんて聞かないで、力で押さえつけていた父が、黙って私の声に耳を傾けてくれていたんです。

落ちついた頃を見計らって、父が口を開きました。

父

お前を幸せにできないような男、目の前にいれば殴ってる。だけど、それでお前が幸せになれるのか?お前が幸せになれないんならそんな男殴る価値もない。

父

子供の頃のことは・・・正直いうと記憶にない。お前が覚えていてそれが事実だというんならそれが事実なんだろう。すまない。当時は自分も娘の愛し方を知らなかった。

でも、ただただ良い大人になって幸せになってほしい、その一心だったのは確かだよ。

拍子抜けでした・・・なぜなら、私の期待通りの返答じゃなかったから。

それまで大事にされてないと思い込んでいた私。反発することで親との関係を終わらせようとしていた私が期待していた言葉は「ザマアミロ」「言う通りにしなかったからだ」などの暴言だったから。

向き合った私たちは、お互いの目に浮かんでる涙に気づき、少しはにかみながら子供のとき以来のハグができ、あれだけ大きかった父が小さく感じた瞬間でした。

【どん底から得た教訓】

・素直になって話してみる
・勇気を出して自分から話しかける
・相手を自分の思い込みで決めつけない
・たまには感情を爆発させてみるのもあり

期待を捨ててみて気付いたこと

家族団らん

期待には応えるものだ、応えるべきだと思っていた私ですが、自分こそが期待をしていたんです。

・良い子でいたら褒めてくれるだろう、という期待
・悪いことをしたら怒ってくれるだろう、という期待
・辛い時には親なら慰めてくれるものだろう、という期待

いつからか、「期待」が押し付けに変わってしまった私たち親子は、個人を尊重する行為を見失い、これに気づいたのが数時間にも渡り父に吐き続けた暴言でした。

期待をし過ぎてしまうと、自分の気持ちだけを相手に押し付けてしまうことってありますよね。

無我夢中でしたが、体当たりをして私が捨てられた期待は、

「親ならこうして当然」

という期待でした。

冷静になってみると「よくあそこまで言えたな」と思うこともありますが、逆に少しでも期待が残っていたら言い切ることもできなかったかもしれません。

期待を捨てて、体当たりをし、自分も働く大人になったことで、父の有様が見えてきたんです。

一家の大黒柱として家族を養うプレッシャーに、会社での責任のプレッシャー。

仕事に明け暮れていて子供の育ちが悪いなんて言われたら子供がかわいそうだ。・・だから、良い大人に育てなければ・・・必死だったんだなということに気づけました。

そして、過去が見えたことで、そこに愛があったこともちゃんと見ることができたんです!

しかし、親子という関係が近すぎるあまり、私たちは「見ればわかるでしょ」という違う期待を生み出し、違った期待をすればするほど、親との関係というのは悪くなり、修復するのに時間がかかるということを長い年月をかけて学びました。

そこに遠回りせずとも気づくには、お互い個人を尊重することを忘れないよう普段からの会話が必要不可欠だったんです。

良好な関係の近道は会話だった

海岸を歩く家族

というのも、私の家族は家族を演じてるだけといっても良いほど、会話という会話がなかったんです。

それは、例えばキャンプや海水浴などの家族旅行・・・計画を立てるとき、行き帰りの移動中、ほとんど会話はありませんでした。聞こえる言葉は確認や要求だったりで、家の中でも報告するくらいの会話で終わってしまい、「葬式か」と思うくらいの雰囲気が毎日続いてました。

これでは報告する一瞬でしか、お互いを知ることができませんよね。それも、一部分しか知ることはできません。

この状態では、いくら血のつながる親子だからって、お互い個人を尊重するなんて到底無理な話でした。

父と和解をしてから、実家を出ていた私と弟が集まり、小学校ぶりの家族旅行に出かけたときのこと。

父

ここは、〇〇が有名みたいだから、観光していこう!

父

ここで昼食にしよう!とても有名なお店みたいなんだ。

父

これが美味しいみたいだから、食べ歩きしないか?

今まででは考えられないくらいに積極的に案内をしてくれた父。実は、久しぶりの家族旅行を楽しむために念入りに下調べをしてくれていました。

朝から会話が弾み、父が楽しそうに案内してくれたおかげで、心に残る本当に楽しい家族旅行になった・・そう帰りの道中思っていると、

父

こんな愉快な日は生まれて初めてだ

という父のつぶやきを聞けたことで、会話をすることでお互いの全体像が見え、尊重できるようになり、尊重できるようになるから、お互いのことを知ることができるんだということが理解できました。

期待を捨てることで得られたもの、それは「会話」でした。

それからというものは、実家に帰っても葬式のような家庭だったのが嘘のように会話が飛び交い、父からは「デートしよう」とお茶に誘われカフェで会話を楽しんでみたり、良好な関係が続いてます。

期待を捨てたことで得た新しい親子関係

夕日と親子

親子の間には「期待」があることが当たり前で、期待をされて期待に応えるのが当たり前だと思っていた私が長年無意識ながら行ってきたことをまとめると・・・

ステップ1「期待を捨てきれるまでとことん体当たり」

なぜ捨てきれるまでなのか。それは、わずかな期待が残っていると相手に「分かってくれるはず」の期待に変わってしまうからです。

それでも期待を完全に捨てきるのが難しい!という人は、相手の状況や気持ちを理解していくと抱く期待が自然に低くなりますよ。

ただ、中途半端になると余計に関係が悪化することもあるのでしっかりあなたの中の「期待する気持ち」に向き合ってみてくださいね。

ステップ2「親の背景を知る努力」

なぜ親の背景を知る必要があるのか。それは、相手の背景や奥に隠された気持ちを知らないことには、なぜ期待をされているのかもわからなければ、和解や良好な関係は築けないからです。

相手の背景を知るのは、勇気が必要だったり気恥ずかしかったりなかなか難しいと思うので、「相手を理解したい」という気持ちと自分の気持ちに素直になることが大切です。

ステップ3「きわめつけは会話」

いつからか「言わなくてもわかるだろう」「言われなくても察しなきゃ」になっていましたが、「家族だから」「パートナーだから」「子供だから」言わなくてもわかるなら、私たち人間に言葉は必要なかったでしょう。しかし、言葉を扱う能力があるということは、私たち人間は言葉を使って伝えなきゃ伝わらない生き物だからです。

あなたも、もし親との関係に苦しんでいるとしたら振り返ってみてください。

会話がなくなっていませんか。

会話がなくなると、期待は膨らみ、相手の背景さえ見えなくなってしまい、表面上「大人になってるからあんな親でも感謝して尊敬しなくちゃ・・」と自分を無理に納得させたところで、感謝どころか尊敬も愛情もなくなってしまうのです。

会話を取り戻すために私は幼少期から言えず我慢してきた思いをぶつけました。

おかげで時間はかかったものの、すっかり期待は消え、会話を楽しめる親子関係を味わう日々を送っています。

もし、あなたもかつての私のように親との関係の悩んでいるのなら、「期待を捨て」て「会話を増やしてみる」ことにチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

きっと、新しい親子の関係、新しい自分の発見につながるはずです。ぜひ勇気を出してみてくださいね!

この記事を書いた人
佳凛

人は可能性の塊。私がそう思えるようになったのは、小さな頃から数多くの事に挑戦してきたからです。中でも1番の挑戦は国際結婚。しかし、目前で婚約破棄を喰らい人生のどん底を経験。

希望を見失ってる時に生まれて初めてのタロット占いを受け、挑戦して得てきた沢山の経験が誰かの生きる希望になると知り、タロット占い師に。現在は、その人の可能性を心底信じながらカードを引く日々を送ってます。

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