「幸せになりたいよね~」
学生時代の友人と女子会と称して集まると決まって出てくるこの言葉。自分の不幸話を少々、友だちの苦労話を聞きながら、
きっとお互い“あ、まだ私の方が幸せかな~”
なんて思って、ちょっと素敵な空間でランチやディナーを楽しむ。そんな時間が幸せだと思っていたし充実してると思って過ごすことは、女性なら誰しも経験したことがあるのではでしょうか。30過ぎたばかりの私も、そんな女性の1人でした。
こんな”そこそこ幸せな日々”が今後も続くと思って疑っていなかったし、このまま会社の先輩みたいに同じ部署で一般事務としてずっと年を重ねても悪くないかも・・・なんて思っていました。
そんな矢先、情報通の課長から「会社が乗っ取られるらしい」とのうわさが。
更にその噂は真実味を帯びてきて、
3,4年に一回のペースで転勤する制度へ
私たちの会社メンバーは成績不振の営業所に飛ばされるらしい
出向、片道切符(会社に戻ってこれない)を渡されるらしい
などなど。
え??えーーー。頭がついていきません。私、ペーパードライバーなんだけど。都心から離れたくないんですけど…。営業なんてできない…。急な環境変化の話に、この先の人生どうしたらいいかわからない状態で、思考停止に。
今まで、会社にぶら下がって、「会社が与えてくれた安定的で限られた自由」に幸せを感じていた私にとって、お先真っ暗、人生のどん底に突き落とされた気分。
悶々とした気分で会社に通い、悲劇のヒロインのように落ち込んでいた私でした。
とは言え、人生自分の気持ちや行動次第でなんとかなるものです。今では「あのことがあったから、自分にとって本当の幸せを考えるキッカケがもらえたのかも」と思っています。
そんな訳で、「今のまま変わらないのが幸せ」「会社に自分の人生を預けていた」齢30を過ぎた独身OLの私が、迷いながらも本当の幸せを見つけるまでに得た教訓を、今回は経験や体験を交えながらお伝えします。
目次
どこにでもいる少し自信過剰な一般OLだった私
地元の中高を卒業し、当たり前のように大学に通って。就職難を乗り越え、丸の内の大手金融系企業のOLとして働いていることが、口には出さなかったけど自慢で誇らしく感じている。今振り返ると、ちょっと友達になりたくない部類の女性だったかも…。
当時の私の生活は、会社の往復に3時間半かかるのは大変だったけど、都心で働けて、丸の内や銀座で友だちとご飯会。お財布を抱えて話題のお店でランチなんか楽しんで。仕事も人間関係も良好。お給料も同世代の女性よりは少しよかったことで、年に1回は自分へのご褒美に海外旅行へ。
30過ぎた私は「結婚」を除けば満足した生活だったし、同じ会社で働く50歳を超えた先輩のように、私もこのまま会社で安定的に働いて年を重ねる未来図しか描いていませんでした。
この時の私は、どこにでもいる普通のOLでした。
当たり前の毎日は長く続かない
そんな当たり前の毎日がずっとこの先続いていくと思っていたし、他の道なんて考えておらず、「結婚出来たら、もう少し責任のない仕事に変わりたいな~」なんてお気楽な日々を過ごしていました。
そんな時、新聞で会社の合併が発表されたのです。
何度もそんな噂はあったので、今回もウソかと思っていましたが、事実のようです。定年まで残り30年弱。今の生活が続くと信じていたのに、私の淡く描いていた未来図が崩れ始めました。
何よりもショックだったのは私が勤めていた会社が吸収される側だということ。絶望と不安で思考が停止し、人生どうしたらいいかわからない状態になった瞬間でした。
この頃、会社では「合併」の話題ばかり・・・。将来への不安が募っていきました。
自分の人生をとりあえず考えてみた
金融系企業は合併が多い業界だったので、合併で吸収される側がいかに大変かは、何人もの人から聞いていました。特別な資格もない私が考えられる、道は2つ
正直、どちらも大変だし、気持ちがまったく前向きになれない選択です。「このままの生活やポジションを守りながら過ごそう」なんて考えていた数か月前が夢のようでした。
そんな、人生どうしたらいいかわからない絶望の中で見出した名案。それは、「一生働かなくていいお金があればいいんだ!」ということ。
私は、とりあえず、ネットで女性の生涯年収を調べてみることにしました。すると「1億円~2億円」という数字が出てきたので、ネットで「1億円 女子 稼ぐ方法」で検索。
少しでも楽をして生きたい気持ちは「楽をして稼ぐ」という結論にたどり着いたのです。
人生を変えるために少し動いてみた
解決策の光がすこし見えた気がしたストーリーとの出会い
「1億円 女子 稼ぐ方法」で調べた結果は宝くじや株など、どれもピンとくるものはありません。
よく考えれば、そんなおいしい話が出回っているはずがないのですが、当時の私は「誰にも知られていない方法が隠れているはず」と本気で思っていたのです。
とにかく必死に調べました。最後にたどり着いたのが、「社会人の男性が、億単位の資産を作った女子大生に教えを受ける」というストーリー。
読み進めていくと、続きを読む為のメールアドレス登録に怪しさ感じながら、恐る恐る登録したのを今でも覚えています。
はじめは不安でしたが、毎日とどくメールには今までにない新しい考え方や、物の見方、ワークも付いていてワクワクの連続。
・お店に入ってお客さんとしてだけではなくビジネス目線持ってみること
・片付けをして流れをよくする
・マインドマップを描いてみる
・自分でビジネスとするなら?とイメージする
など、今までの人生でやってこなかったことばかり。
ストーリーの主人公が女子大生師匠から与えられるミッションをクリアするたび、成長している姿を自分にも重ね合わせ。
安易で単純な私は「これで1億円女子に近づいているかも」なんて会社帰りの電車で、気分が高揚していました。
安易な考えでは簡単に手に入らない
日々届く、メールの内容を試して3週間くらい経ったころ、再び絶望が私の中に生まれ始めました。
理由は、届くメールに付いているワークをしても、簡単に1億円が手に入らないことがだんだん分かってきたから。
前向きだった気持ちは一気に冷めて、再び人生どうしたらいいかわからない状態に戻ってしまいました。会社を辞めるための1億円探しに戻ってしまったのです。
チャンス到来
絶望はしていたけど、定期的に届くメールには目を通していました。書いてある内容は学ぶことが多かったのと、なにかヒントが隠れているんじゃないかという気持ちが、まだどこかにあったから。
そんなある日、届いたメールに「会社でコピーライターのインターンを応募します」という内容がありました。
「コピーライター」ってなんだ?
ライターというんだから、何か書くのだろう。
正直その職業が何をするのか分かりませんでしたが、届くメールを読んでいるだけでは変わらないのは分かっていたので、記念受験のつもりで応募してみることにしました。
ただ、テストや受験、就職など自分の思い通りになったことが無かったので、受かる気が0(ゼロ)で、「人生どうしたらいいかわからない私が新しく行動した」ことに満足して、その時は終わったのです。
動いたら何か変わる
課題を提出して1か月、何も起こらなかったし、生活が変わることもありませんでした。会社も合併に向けても少ししか動いておらず、変わらない日常が過ぎていました。
そんな時、「コピーライターインターンに合格しました」とメッセージが届いたのです。
メールには「厳選なる選考の結果、コピーライターインターンに決まりました。一度Skypeでお話ししたいと思います」
「やったぁ!」。はじめは嬉しかったけど、徐々に怖くなりました。
Skypeってどうやって使うんだ…。
接点ができたら逃げられなくなるのか…。
変なもの売られたらどうしよう…。
変わりたくて受けたはずなのに、見えないものの恐怖が勝ってしまい、不安が先行しました。
なにをしてみたいですか?
それでもなんとかSkypeをパソコンにダウンロードして、いざ先生となる人と話すことになると、思ったより良い人で安心したのを覚えています。
最後に、いくえさんは、コピーライターとして何がしてみたいですか
・・・
コピーライターがこの時点でも何なのかも知らなかったので、何がしたいのかもありません。
ただ会社を辞めたくて1億円を目指していただけなんて口が裂けても言えませんでした。何とか考えて答えたのが
会社の文章をもう少しうまく書けるようになりたいです
・・・
そうですか、コピーライターになりたいとかではなくて、会社の文章が上達したいんですね
・・・はい。コピーライターが楽しければ、続けられたら嬉しいですが・・・
きっとこの時、先生は人選ミスをしたことに気づいたと思いますが、インターンに決まってしまったらこっちのものです。
とりあえず私は、どうしていいか分からない所から1億円に一歩近づいたのでした。
1億円に近づく出会い
チャンス到来
順調にコピーライターの授業は進んでいき、コピーライターの仕事をもわかってきて、以前に比べればそれなりに文章も書けるようになってきました。
そんな中、コピーライター応募のきっかけとなったストーリーの著者に会えるチャンスがきたのです。
まだ心のどこかにライターの先生と、ストーリーの著者対して怪しいという気持ちはありましたが、個人情報でバレてるのは顔とメールアドレスだけだから、何かあったら逃げ出せばいいと思って会いに行きました。
ドキドキしながら、待ち合わせの渋谷B1出口でライターの先生を待っていたのを覚えています。
1億円を目指してから2か月。
会ってみたかった憧れの人には思ったよりも簡単に会えてしまうことに一人運命を感じました。
出会いと行動
当時一番会ってみたい人、ストーリーの著者は、私の周りにはいない不思議な恰好をしていましたが、話してみるとごくごく普通の人のように感じました。
自己紹介などをして話しているうちに「今、実践塾っていうのやってるんだけど、良かったら入る?」とのお誘いが。
実践塾?なにするんだろう?
怪しい、怪しいけど、変な人じゃなさそうだし、このままでは人生どうしたらいいかわからない状態から抜け出せないから、行動を起こすことに決めました。
決めたのなら動くしかありません。答えは簡単。
はい、よろしくお願いします!
あなたは誰ですか、何をしているんですか
実践塾は、コピーライターの授業以上に刺激的な内容でした。
どんな塾だろうと思ったら、実践塾とは「自分でなにか事業をしたい」と思っている人たちが実践を交えてビジネスの基礎を学ぶ場。
私より10近く若い人が「会社を辞めて自分で○○をしたいんですよね」とか「会社は退職して好きなことしています」と話す姿に、お金しか目に入っていない私は衝撃を受けました。
更にショックだったのが、「すごい人達が集まる忘年会」に誘われた時のことです。
100人近い人が1つの会場に集まる異様な雰囲気の中、「色んな人に声をかけてみな」とのアドバイスで、実践塾の友だちと会場に集まる人に声をかけると
はじめまして。実践塾で学んでるいくえといいます
はじめまして。実践塾ってなに?いくえさんは実際なにしているの?
・・・。○○会社で営業事務をしています。・・・。
勇気を振り絞って声をかけた人のほとんどが、自分で事業をしていたり、働きながら夢を持ち、やりたいことにチャレンジをしている人たちばかり。
今まで、「丸の内の大手金融系企業のOL」という私の自慢が、ただ会社の看板にしがみついているチッポケな人間で、何をして生きていきたいか明確に見えていないことが急に情けなくなったのです。
人生をどうしたいのか、選択
衝撃を受けた忘年会から、自分が「人生どうしたいのか」「どうやって生きていきたいのか」真剣に悩み考えるようになりました。
この頃、会社の合併も進み、今まで所属していた部署が分解され同じ会社の仲間がバラバラになり始め。
私の中で、人生どうしたらいいかわからない状況なのに変われない自分に焦る気持ちだけが先行していく中、色んな人のアドバイスを受けて行動してみることに。
1億円を手に入れることに憧れてから約1年半、衝撃の忘年会4か月後。結局、私は悩みに悩み、会社を辞める選択をしました。
会社を辞めて本当に良かった
あまりお勧めできませんが、私はなんのプランも無く会社を辞めることを決めました。
周囲に「辞める」宣言していたら、私が自分のことを考えるきっかけになったストーリーを書いた著者の会社に誘ってもらえ、次の仕事もトントン拍子に決まったのです。
それからというもの、満員電車に乗らなくなった、会社の出勤が週1回になった、周りに好きな人しかいなくなった、周囲から応援されるようになった・・・など、今まで会社に勤めていて「嫌だな…」と思っていたことから解放されていったのです。
私の選択が正しいとは思いませんが、どうして30歳半ばを目前にして辞める決意をしたのか?何がキッカケだったのか、当時行っていた方法を5つ紹介しますね。
「本当はどう生きたいのか」自分の幸せを考えてみた5つの方法
自分の幸せってなに?
人生どうしたらいいかわからないと悩んでいた私は、そもそも「自分にとっての幸せ」を考えてみることにしました。今まで「丸の内の大手金融系企業のOL」が自慢でしたが、どんなに有名な会社で働いても、そのステータスでは幸せを感じられないことは分かりました。
そして、世間一般的に言われている“いい会社”で働くことは、他人の目や評価を気にしていているから、さらには親を安心させたい気持ちからきていることも自分の中で見えてきました。
やりたい事と、やりたくない事を明確にしてみた
自分のやりたい事とやりたくない事を書き出してみました。
満員電車に往復3時間半乗って通っても、幸せだと思いこんでいましたが、考えてみれば通勤中に変な体制で寝ることとパソコン作業のせいで、首が変形してしまい通院していたこと。ストレスで胃腸炎になり薬を服用する時もあったので、これは自分の中で幸せではありませんでした。
とにかく周りに話してみた
会社を辞めたい気持ちだけが先行してしまっていたとき、何がしたいのかどうしたいのか考えられなくなっていました。
自分の気持ちが焦ってしまうと、何がしたいのか分からなくなってしまうことはないでしょうか?
そんな時は、自分の気持ちを整理するためにも、信頼できる周囲の人への相談はとても有効な手段です。
他者視点での私という人間に関して教えてもらったり、実際に一般企業に勤めた経験があって退職して自由に生きている人に話を聞きに行きました。
ここでの注意点は、相談をする人を間違えると、話を聞いてもらうどころか「せっかく入社できた大手の会社なのにもったいない」とお説教になってしまうこともあるので、誰に相談するかは大切です。
色んな人に話していると、自分の話を真剣に聞いてくれ応援してくれる人がいるということにも気付けました。
もし明日に死んだら?
当たり前に毎日が過ぎていくので忘れていますが、人はいつか死にます。それが明日かもしれないし、平均寿命以上かもしれない。
もし平均寿命まで生きれたら、私の場合は残り50年くらいの計算になります。でも、いつまでも健康とは限らないし、何が起こるか分からない。
もし、明日死んだら…。
退職前にそれを考えた時、会社から供花(葬儀に送られる花のこと)が送られ、常務や部長、課長、課員が来てくれるでしょう。きっと「いい社員が1人。残念です」くらいのことを言ってもらえたら、両親は悲しむけど、立派な会社で認められて、勤められて、人生が終わった娘と思うかも知れません。
想像しました・・・全く嬉しくありませんでした。
私の命がもし、明日までだったら、
なんで、やりたいと思ったことにチャレンジしなかったんだろう?
親の顔色や他人の評価ばかり気にして、自分を信じてチャレンジしてこなかったんだろう?
と後悔する気持ちが湧いてきたことに気づけました。
全部自分のせい
今まで当たり前だと思っていた毎日は、自分の描いていた幸せとはズレていたことが分かりました。
結局、問題なのは自分の人生を誰かの決定にゆだねていたり、問題が起きた時に、周りのせいにしたりする気持ちがあるということでした。
会社が合併して、人生どうしたらいいかわからない状態になっているのは、会社の社長のせい。役員のせい。そんな風に思っていた時もありました。
そして、自分のアイデンティティを他人の権威に依存していたことが、自信の無さや自分が見えていないことに繋がっていたのです。
そう思っていた自分をまず認めました。
私の人生、全ては自分で決める。自分に責任がある。という気持ちで物事に取り組もうと思うと、何が起こっても「自己責任」になります。そう考えられたことで、誰のためでもない自分の人生を生きる気持ちが生まれたのです。
たどり着いた30代私の幸せ
人生どうしたらいいかわからない私がたどり着いた幸せは、1億円がただあればいいのではなく、「楽(らく)」でもなく「楽しい」と自分が感じることを、誰かの視線を気にして諦めるのではなく、納得して自分自身で自分の人生を選択できるということでした。
最初の目標だった1億円があったらそれはそれで嬉しいですし、もっとお金があったら幸せかもしれない。もっと都心に住めたら幸せかもしれない。
もっと、もっとはありますが、自分が望んだように、自分で決めて生きること。大切なものを大切だと認識して、自分自身でチョイスできる環境にあること。
そして、それを分かち合える仲間や家族がいること。生活できるお金があること。
そんな自由な選択が今の私にとっての幸せだと気付きました。
あなたも、人生どうしたらいいかわからない時、「自分の幸せ」は何なのかが、「すべては自分の責任で、自分で選択ができる」ことを知り、決断をすれば、あなたらしい幸せな生き方が見つかるはずです。
ただ、自由は自己責任になるので、ぜひそこは忘れずに。自分が幸せを感じる人生を送ってくださいね。
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